去りし徹考我

永遠なる繁栄のタメニ

「有能な人」ってどんな人だろう?

「この人は有能だ」「この人は無能だ」みたいな表現を耳にする機会って割とあるんじゃないかと思います(自分だけ?)

こんな時、ふと思うのは「有能って何」ということです。

 

辞書を引いてみましょう。

 

ゆう‐のう〔イウ‐〕【有能】
の解説
[名・形動]才能のあること。また、そのさま。「有能な人材」「有能の士」⇔無能。

 

む‐のう【無能】
の解説
[名・形動]能力や才能がないこと。役に立たないこと。また、その人や、そのようなさま。「無能な指揮官」「無能無策」

 

なるほど、能力や才能がある人は「有能」、ない人は「無能」であることがわかりました。

 

とはいえこの定義、実生活においては中々ピンと来ないものなんじゃないかな、と思いました。例えば鳩山由紀夫氏は様々な才能に恵まれた人物ではあると思うのですが、「無能な政治家」とされることが多い気がします(※個人の意見です)

 

そこで僕が思ったのは、「有能」「無能」というのは、その人が所属しているコミュニティによって変わる、ということです。

 

例えば、僕は非常に手際が悪いです。以前、居酒屋でバイトをしていたことがあるのですが、仕事のスピードは遅いし、締め作業とか覚えられんしで、居酒屋従業員としては間違いなく「無能」であったと考えられます。

 

ただ一方で、僕は絵を描くことが好きで、店内の絵とか、pop作成は自分がやらせてもらっていました。ここだけ見ると、イラスト作成においてはその集団のなかで比較的「有能」な部類にあったのではないか、と思います。

 

居酒屋のバイトというコミュニティ上、重要度は手際の良さ>絵の上手さなので、僕は無能な人材であったと思われますが、もしこれが逆であったら、有能も無能も逆転するかもしれない、と思います。

 

鳩山由紀夫氏の例でいくと、東京大学工学部計数工学科卒業、スタンフォード大学大学院博士課程修了なわけですから、もしかしたら「有能な研究者」として名を馳せていた可能性もありますよね。

 

ここで僕が思ったことは、自分の得意なことを上手く仕事にできたら「有能な人材」になれる可能性が高まるんじゃないかな、ということです。特技がない、好きなことがない、という人はあまりいない、というのが僕の持論です。誰しもが自分の得意なフィールドで仕事ができるわけではない。だからこそ、「有能な人」「無能な人」という表現が生まれるのではないでしょうか。

 

僕自身、自分が何の才能があるか、全然わかっていません。だからこそ、色々なことにチャレンジしながら、自分の才能を見つけていきたいな、と考えています。