去りし徹考我

永遠なる繁栄のタメニ

私は現実を生きるのが苦手だ。

私は現実を生きるのが苦手だ。

 

昔からそうだった。

暇さえあれば自分の想像の世界へと旅立ってしまう子供だった。

私はそれを心の旅と呼んでいる。

 

私が心の旅を始めたのは小学生の頃からだ。

おかげで、周りからは「ボーッとした子だ」と言われることもあったが、自分としては忙しく思考を巡らしているのだ、と文句を言いたいことが時々あった。

 

一方で私は目立つことも好きだ。

自己顕示欲が強いのだろうか。劇で目立つ役をやったり、人前で笑いをとったりすることが好きだ。

 

それでも私は、心の底で「自分は日陰者であるべきだ」と考えている部分がある。これは「目立つのが好き」という自分と相反するものだが、どちらも自分自身である。

 

このことに気がついたのは小学6年生の頃で、初めて匿名掲示板に書き込みを始めた時期であった。やんちゃな糞ガキである現実の自分と、匿名掲示板に書き込む日陰者の自分の両方とも自分自身であることが不思議な感覚だったことを思い出す。

 

今でも私は暗い部屋で一日中引きこもって本を読んだり、匿名掲示板の下らないスレに書き込みを行うときに生を実感している。「日陰者であるべき」という自分を満たしてくれる行為はこれ以上ない。かと思えば、友人と遊んでいる時、通話しているときは「日陰者でいるべき」自分はすっかり消えてしまう。

 

思うに、「本当の自分」だの「本性」だのそんなものはないのではないか、と思えてくる。「自分は日陰者であるべきだ」と考えている自分も、「目立ちたい」「友人と遊んでいて楽しい」と考えている自分も、どちらも自分の本性だ。その時の気分、テンションによって、どの自分が強く顕現するかの違いでしかないのではないか。

 

そういう訳で今私は、多少アルコールが入っているため、「普段の『心の旅』で考えていることを発信したい」自分が強く顕現したため、この文章を書いたという訳である。