去りし徹考我

永遠なる繁栄のタメニ

人生は「才能」が7割。

前回の記事で、「自分の才能を活かせる場所を見つけることが大事」みたいなことを書いたと思うんですが、それは何故かと言うと、人生は7割方才能によるものではないかと僕が思っているからです。

 

才能よりも努力のが大切だ、という意見をよく耳にしますが、僕は寧ろ才能のほうが能力に対する寄与が大きいと考えています。

 

わかりやすいのが容姿です。

ファッションに気をつけたり、話し方や姿勢、体型に気を配るなど、自分の努力できる範囲内で自分の容姿を向上させることは可能です。一方で、それらを改善したからといって、骨格が変わるわけではないし、顔のパーツの位置が変わるわけではないし、身長が伸びるわけではない。自分なりに容姿に気を配るのはとても大切なことですが、「容姿に恵まれない人」が「容姿に恵まれた人」になることは困難である、と僕は考えます。

 

「学力」や「運動神経」についても同様のことが言えると思います。

中学の勉強でつまづいている子がいくら努力しても東京大学に入ることはまず不可能ですし、50m走が8秒台の子が短距離でインターハイに出場することもまず不可能です。

僕が思うに、勉強もスポーツも、「できる人」は自分なりに努力はしているものだとは思いますが、「できない人」が同じ量の努力をしても、「できる人」の域に到達するのは難しい。

 

さらに言えば、適切な努力ができることも才能だと言えます。例えば、努力量が100でも、間違った方向に努力すればマイナスにいってしまうこともあり得ます。

 

そう考えると、僕は「自分には才能がない」と思われる分野については、最低限の努力(努力を全くしないというのは駄目です。例えば、自分はブサイクだからといって、全く容姿を気にせず、浮浪者のような外見でいたら関わる相手にも失礼です)をして、「才能がある」と思われる分野に努力のリソースを割く、という生き方が1番賢いと思います。

 

「とは言っても、自分には何の才能も無いし...」と思う人もいるかと思います(自分もその内の1人です)。その場合は、自分の好きなことをやってみるのがいいんじゃないでしょうか。「好きこそ物の上手なれ」は本当に至言だと思っていて、「好きである」ことは最強の才能だと思います。

 

僕の場合、ブログを書き始めたのも自分は文章を書くのがまあまあ好きなことと、自分には文章の才能があるのか、を確かめたかった、という理由があります。

 

好きなものがない、という人はほとんどいないでしょう。ならば、人は必ず何かしらの才能がある、というのが僕の考えです。ただ、好きなものが嫌いになってしまってはしょうがないので、楽しみながら好きなことを続けていく、というのが自分の能力を伸ばすいい方法なのではないでしょうか。